日本の俳優界きっての演技派俳優・佐藤浩一さん。
これまで数多くの映画やドラマに出演してきた佐藤浩一さんですが、トーク番組やバラエティ番組への出演も辞することなく、気さくな性格を垣間見ることができます。
そんな佐藤浩一さんの父親といえば、「釣りバカ日誌」シリーズののスーさんでおなじみ・故 三國連太郎さんであることが有名な話。
三國連太郎さんは2013年に享年90歳でお亡くなりになっていますが、これまでに佐藤浩一さんとの親子関係で確執があったと言われています。
そこで今回は、佐藤浩一さんと三國連太郎さんの確執問題、真相や解決したのかまでをまとめてみました。
共演時も他人行儀だった親子?
三國連太郎さんは、もちろん佐藤浩一さんよりも俳優歴が長く、佐藤浩一さんが俳優を目指したきっかけになったのも父・三國連太郎さんの影響があったから。
にもかかわらず、その親子関係は最悪のものでした。
佐藤浩一さんがデビューをし、しばらくは共演する機会がなかったものの、1986年の映画「人間の約束」で共演を果たします。
三國連太郎さんが主演の映画ですが、劇中二人が関わり合うシーンはほとんどなかったため共演というにふさわしくない作品と言われました
。
その10年後、1996年に公開された映画「美味しんぼ」で“本当の共演”を果たすのです。
二人の役柄は、まるで二人の関係をそのまま実写化したかのような親子という設定。
メインキャストを演じる二人は、共演シーンも満載でした。
ところが、映画の制作発表においてはお互いのことを「三國さん」「佐藤くん」と呼び合うなど、親子であるにも関わらず非常に他人行儀。
さらに、「俳優はサービス業」と話す佐藤浩一さんに対し、三國連太郎さんが「サービス業などという考え方は間違っている」と否定し、現場の空気は最悪になったそうです。
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なぜ確執が起きたのか?
では、佐藤浩一さんと三國連太郎さんの間になぜ確執が生まれたのでしょうか?
それは、複雑な家庭環境にありました。
佐藤浩一さんは三國連太郎さんの3番目の妻との間に出来た子供。
結婚から3年後に佐藤浩一さんが誕生しましたが、佐藤浩一さんが小学6年生のときに三國連太郎さんが蒸発したのです。
以後、母親の手で育てられた佐藤浩一さんでしたが、スナック経営をしていた母親の男関係も激しかったようで、若くして家を飛び出したんだそう。
これを考えると、子供が父親を恨むのは当然なのかもしれませんね。
そして、佐藤浩一さんが三國連太郎さんに俳優を目指すと告げた際、三國連太郎さんからは
「おやりになるなら親子の縁を切りましょう」
と言われたそうです。
これまでの経緯や会話を見てみると、二人が普通の親子関係だったとはとても思えません。
「三國さん」「佐藤さん」と呼び合うのも妙に納得がいく気がします。
確執は解消されたのか?
そして2013年、三國連太郎さんはお亡くなりになりましたが、それまでに二人の確執は解消されたのか?
非常に気になりますよね。
2008年に親子で共演したANAのCMでは、すでに仲の良い雰囲気になっていました。
おそらく、この時点で長い間続いてきた確執がすでになくなっていたのではと予想されます。
その証拠に、三國連太郎さんの葬儀では妻ではなく佐藤浩一さんが喪主を務めています。
佐藤浩一さんは
「本当に役者として生きたんだなと思いました。孤高さを守り、芝居に関わってきた。
おやじの顔を見たとき、そのことを感じました」
「彼から受け取ったものは父親としての人生よりも数倍濃厚なものだったのかもしれない。
自分がどこまで理解しているかわからないけど、それを自分の中で守っていきたい」
とコメント。
父親の偉大さに尊敬を示しているんですね。
30年以上に及ぶ確執で、佐藤浩一さんは三國連太郎さんの思いを感じ取ることができたようです。
佐藤浩一さんにとって、父親を超える壁はとても高いはずですが、いつかきっと乗り越えられるような気がします。
これからの活躍に期待しています。
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